『スヴェンボルの詩』より
ベルトルト・ブレヒト
野村 修 訳
デンマークのわら屋根の下にのがれて、友たちよ
ぼくはきみたちの闘争を見まもる。ここからぼくは
すでに幾度かしたように、詩をきみたちに送る。
海峡と森林ごしの血みどろの幻覚が駆り出した詩を。
用いてくれ、きみたちに届くものがあれば、慎重に!
黄ばんだ本、欠けたところの多い報告が
ぼくの手がかりなのだ。ぼくたちが再会するとき
よろこんでぼくは、また教わることにしよう。
スヴェンボル 1939
参考文献 『ブレヒト詩集』野村 修 訳 土曜美術社出版販売
スモモの木
野村 修 訳
中庭にスモモの木がある
小さいさくて、ほとんど目だたない。
まわりに柵があるので
踏み倒されることはない。
木は、大きくはなれない。
大きくなれたらなりたいのだが。
そうとは誰もいわないが
陽があたらなすぎる。
スモモの木とも、なかなか思ってもらえない
実をつけたことがないから、
それでも、これはスモモの木だ
葉を見ればそれとわかる。
★akemin雑学記
私はドイツ語が読めないので、ブレヒトの詩を原書で読むことができないのです。
(最近、訳者によって同じ詩がずいぶんと違った印象を受けることにきずきました。)
だからおなじ詩を別の訳で読み、味わい、より多くの閃きを感じたいと思いました。
「スモモの木」の別の訳を見つけたのでここに掲載しておきます。
追われるものはもっともだ
野村 修 訳
ぼくは裕福な家庭にそだった。
両親はぼくのくびにカアラを巻きつけ、ぼくに
日常に人手をわずらわす習慣をつけさせ
ひとに命令する技術を教えこんだ。
しかし
ぼくがおおきくなり、周囲を見る眼ができたとき
ぼくはぼくの階級のやつらがきらいになり
命令するのもきらいになった、
で、ぼくはぼくの階級を棄て
いやしいひとびとのなかまになった。
だから
ぼくの階級は裏切者をそだてたわけだ。やつらの
いろいろな技術を教えこまれ、ものにしてから
ぼくはやつらを敵に売り渡す。
見ろ、ぼくは秘密をしゃべりちらす。民衆のあいだに
ぼくは立ち、説明する
やつらの詐欺の手口を。予言する、未来を、だって、
ぼくはやつらからもくろみをうちあけられている。
やつらに買収された牧師どものラテン語を
一語一語ふつうのことばに訳してみせる、
と、いんちきの正体が露顕する。やつらの正義の天秤を
台からひきずりおろし、いかさまな分銅を
ひっぱりだす。やがて、密告でかせいでいるやつらが
やつらに報告する、やつらの詐欺の被害者たちと
いっしょにぼくが蜂起を議している、と。
やつらはまずぼくをケンセキ
(譴責・悪い行いや過失をいましめて責める事)し、
ぼくから没収した、
ぼくが労働して得たものを。でもぼくが改心せぬので
ついにやつらはぼくをタイホしにきた。しかしそのとき家には
民衆に対するやつらの陰謀をあばいた文書しかみあたらなかった。
そこでやつらは
罪状をしるした人相状をまわしてぼくを探した。
それによればぼくの罪状はいやしむべき思想、つまり、
いやしまれるひとびとの思想。
どこへいってもぼくはフダツキだ
財産をもつ者の眼には。だが財産をもたぬひとびととは
人相書をよむぼくを
かくまってくれる。きみが、とぼくは言われる、
きみがやつらから追われるのは
もっともだ。