
更新日
2004-11-06
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ブレヒトとロルカは同じ年に生まれ、同時代に生きた芸術家です。
二人の生涯と作品、その時代の社会、文化を追いながら、
ブレヒトとロルカの残した作品を深めるてがかりになればと
年譜をつくりました。
参考文献 「ブレヒト」岩淵 達治著 清水書院
「ブレヒト詩集」野村 修訳 土曜美術社出版販売
「聖母と娼婦を超えて ブレヒトと女たちの共生」谷川 道子著 花伝社
「ガルシア・ロルカ評伝」小海 永ニ著 ファラオ原点叢書
「ロルカ像の探求―フェデリコ・ガルシーア・ロルカ新研究」フェデリコ・ガルシーア・ロルカ (著),
小海 永二
| 1914 (大正3年) /16歳 |
『アウクスブルク新報』に、ベルトルト・オイゲーンの著名で詩が掲載される | 第一次世界大戦勃発 スペインは中立を宣言 |
グラナダ大学法学部予備課程に登録 ギターとピアノの練習を続ける |
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| 1915 (大正4年) /17歳 |
・ | スペイン 経済的好況期に入る | グラナダ大学法学部および文学部入学 学士号修得の勉強を始める 「グラナダ芸術センター」の会員となり音楽家を目指す 1916に音楽家を目指してパリ留学を計画するが、両親の反対で、断念 この頃から詩作をはじめる |
| 1917 (大正6年) /19歳 |
ミュンヒェン大学に進学、 哲学のちに医学を専攻 ギターをたしなむ |
スペイン 経済的不況 労働運動盛んになる ロシア 二月革命 ロシア 十月革命 ソヴィエト政府樹立 |
最初の文学的著述「象徴的幻想」を『グラナダ芸術センター会報』に発表 | ||
| 1918 (大正7年) /20歳 |
衛生兵として召集され 敗戦まで野戦病院に勤務 戯曲『バール』を手始めに劇作はじめる |
スペイン労働運動昂揚 日本 シベリア出兵 ドイツ ウィルヘルム二世オランダに亡命 11月 第一次世界大戦終わる |
最初の著書『印象と風景』 グラナダで自費出版 反響全くなし |
| 1919 (大正8年) /21歳 |
1922年までミュンヒェン、のちにベルリン大学で医学と自然科学を学ぶ パウラ・バンホルツァーとの間に男児フランク生む 2月 「夜打つ太鼓」(スパルタクス)初稿完成(ベルリンのスパルタクス団蜂起により女闘志ローザ・ルクセンブルくが虐殺された事件を背景に書かれた) |
1月 ベルリンでスパルタクス団蜂起 1月 パリ講和会議 |
・ | ||
| 1920 (大正9年) /22歳 |
詩「水死したむすめについて」 | 日本 経済恐慌 | 3月 最初の戯曲「蝶の呪い」マドリードで初演 観客の非難、賛否両派が乱闘 | ||
| 1921 (大正10年) /23歳 |
・ | ・ | 6月 最初の詩集『詩の本』出版 マドリードの文壇デビュー | ||
| 1922 (大正11年) /24歳 |
「夜打つ太鼓」ミュンヒェンで初演 『夜打つ太鼓』『バール』出版 11月マリアンネ・ツォフと正式結婚 |
日本 共産党結成 | 「グラナダ芸術センター」で「カンテ・ホンド アンダルシーア原始的な歌」と題して講演 |
| 1923 (大正12年) /25歳 |
「夜打つ太鼓」クライスト賞受賞 「都会のジャングル」ミュンヘェンで初演 |
日本 共産党結成 関東大震災 ドイツ ヒットラー ミュンヘェン一揆失敗 |
「グラナダ芸術センター」で「カンテ・ホンド アンダルシーア原始的な歌」と題して講演 サルバドール・ダリと知り合う |
| 1924 (大正13年) /26歳 |
「エドワードニ世の生涯」初演 ベルリン、ドイツ座芸術部員となる ハウプトマン女史と知り合う |
4月ドイツ 賠償支払ドーズ案 | 『ジプシー歌集』の中の詩を書き始める |
| 1925 (大正14年) /27歳 |
「男は男だ」初演 | ドイツ 4月ヒンデンブルク 大統領当選 12月 ロカルノ条約 |
戯曲「マリアナ・ピネーダ」完成 ダリの家に滞在する |
| 1926 (昭和元年年) /28歳 |
マルクス主義の学習を始める 詩集『家庭用説教集』出版 |
ドイツ 9月国債連盟加盟 |
グラナダの「学芸協会」で「ルイス・デ・ゴンゴロの詩的イメージ」と題して講演 グラナダで前衛的な文学雑誌の発行を計画する後の『雄鶏(ガリョ)』 詩「サルバドール・ダリへのオード」を発表 |
| 1927 (昭和2年) /29歳 |
ヴァイルが「小マハゴニー」を作曲 マリアンネと離婚 |
12月 ソ連 第一次五ヵ年計画の承認 | グラナダで人形劇の上演を計画 『雄鶏(ガリョ)』の創刊に努力 戯曲「イフィゲネイアの犠牲」を書く 5月 第二詩集『歌集』出版 バルセロナで「マリアナ・ピネーダ」初演成功を収める 12月 「学芸協会」新世代の詩人の会で『ジプ シーの詩』の朗読が人気を博す |
| 1928 (昭和3年) /30歳 |
「三文オペラ」で画期的な成功を収める |
パリ 不戦条約調印 |
ダリとロルカの詩と絵の合作本企画 『雄鶏(ガリョ)』第一号発行 評判になる 7月 『ジプシー歌集』出版 大成功を収める 「学芸協会」で「想像力・霊感・詩の中への 逃亡」と題して講演 |
| 1929 (昭和4年) /31歳 |
ヘレーネ・バァイゲルと結婚 「教育劇」の試みを始める ベンヤミンと知り合う |
ウォール街株暴落 世界大恐慌 スペイン 独裁政権による文化的抑圧きびしくなる |
「ドン・ベルリンプリーンのベリサとの庭での恋」の上演を検閲により禁止される 2月 「歌集」第二版を出版 「マリアナ・ピネーダ」マルガリータ・シルグ劇団によりグラナダで初めて上演 6月 アメリカに出発 6月末 コロンビア大学の学生となる 11月 ニューヨークの「スペイン協会」主催で「カンテ・ホンドの詩」を朗読 |
| 1930 (昭和5年) /32歳 |
オペラ「マハゴニー市の興亡」初演 「処置」が労働者グループと共同で上演 南仏で療養 「母」の改作 「三文訴訟」事件 娘 バルバラ生まれる |
ドイツ 9月ナチス党大量進出 | 「スペインキューバ協会」に招かれキューバに渡り「新しい詩の力学」等の講演を行う キューバ滞在中に執筆の戯曲「五年経ったら」「観客」ほぼ完成 6月 グラナダに帰る 12月 マドリードでマルガリータ・シルグ劇団により「すばらしい靴屋の女房」初演 |
| 1931 (昭和6年) /33歳 |
マルガレーテ・シュテッフィンと知り合う | 5月 オーストリア中央銀行破産経済恐慌、7月ドイツにも波及し金融恐慌はじまる 9月 満州事変おこる 12月 スペイン 第二共和制成立 |
詩集「カンテ・ホンドの詩」出版 人形劇「ドン・クリストーパルの小祭壇画」を書く |
| 1932 (昭和7年) /34歳 |
映画「クーレ・ワンペ」完成 ソヴィエトに旅行する コルシュにマルクス主義を学ぶ |
3月 満州国の建国 3月 ドイツ ヒンデンブルグ再選 政情不安定 |
劇団結成に着手 3月 マドリードで「ニューヨークにおける詩人」と題して講演と詩の朗読 グラナダ郊外で戯曲「血の婚礼」完成 |
| 1933 (昭和7年) /35歳 |
国会議事堂放火事件の翌日亡命 プラハ、ウィーンをへてチューリッヒへ バレエ台本「小市民の七つの大罪」上演のためパリへ デンマークのスヴェンボリに移住 女優ルート・ベウラウを知る |
1月 ヒトラー首相となる 2月 国会議事堂放火事件 3月 ヒトラー政権掌握 ドイツ・日本国際連盟脱退 ドイツのユダヤ人迫害始まる |
・ |
| 1934 (昭和8年) /36歳 |
秋、ロンドンに旅行 「三文小説」 |
6月ドイツ レーム事件(ナチスの粛清事件) 8月 ヒンデンブルク死去 8月 総統兼首相ヒトラー |
人形劇「ドン・クリストーパルの小祭壇画」上演 ブエノス・アイレスの「ラジオ・エステンソール」で別れの放送 ブエノス・アイレスの「ペンクラブ」にチリの詩人パブロ・ネルーダとともに招待され、対話形式で講演 8月 イグナシオ・サンチェス・メヒーアス(闘牛士)牛の角に刺されて死亡 戯曲「イェルマ」完成 マドリードのエスパニュール劇場でマルガリータ・シルグ劇団により初演・ロルカとシルグに敵意を持つ右翼の妨害にも拘わらず成功 |
| 1935 (昭和9年) /37歳 |
モスクワに旅行 ドイツ市民権を奪われる パリの国際作家会議に出席 「母」上演のためアメリカへ |
3月 ドイツ再軍備宣言 5月 ヒットラー「平和計画」演説 9月 反ユダヤ「ニュルンベルグ法」決議 |
ニューヨークで「血の婚礼」上演 マドリードで「血の婚礼」再演 「すばらしい靴屋の女房」再演 人形劇「ドン・クリストーパルの小祭壇画」上演 「イグナシオ・サンチェス・メヒーアスへの哀悼歌」出版 バルセロナでシルグ劇団「イェルマ」上演 バルセロナ文化団体主催で詩のリサイタル バルセロナの看護婦学校で「ジプシーの歌」講演と朗読 エチオピア擁護宣言に署名 マルガリータ・シルグ劇団とともにバレンシアおypびカタルーニャへ旅行 バルセロナでシルグ劇団「血の婚礼」長期公演始まる(約1月) 「ガルシアの六つの詩篇」出版 |
| 1936 (昭和10年) /38歳 |
アメリカより帰国 ロンドンの国際作家会議に出席 亡命者の雑誌「ことば」の編集を引き受ける 「まる頭ととんがり頭」初演 |
1月 スペイン 人民戦線協定成立 2月 スペイン 国会選挙 人民戦線派勝利 アサーニャ内閣成立(暗い2年間」終わる) 7月 右左両派の対決気運高まる スペイン領モロッコで軍隊の反乱起こる 7月 スペイン内乱始まる 10月 スペイン フランコ将軍、国家主席となる 人民戦線政府、国際義勇軍の創設承認 11月 フランコ政権マドリード攻撃 国際義勇軍マドリード戦線に参加 ドイツ、イタリア、フランコ政権を承認 |
未刊の初期詩篇を集めた詩集「最初の歌」出版 ソヴィエトから帰国した詩人ラファエル・アルベルティの祝賀会でスペイン作家達による反ファシスト宣言を読み上げる 平和のための世界連合宣言に署名 ブラジルの労働運動家カルロス・プレステスの逮捕に抗議する釈放請求書に署名 マドリードのウニオン・ラジオから「グラナダの聖週間」と題して放送 メーデーに参加する労働者にあてたロルカの連帯メッセージが、国際赤色救援会機関誌「援助」に載る フランス人民戦線の代表がマドリードに訪れた歓迎集会に出席 「太陽」紙に掲載された対談のなかで、ロルカは偏狭な右翼ナショナリストたちを批判「自分は世界中のすべての人々の兄弟」だと語る 戯曲「五年経ったら」の上演計画がはじまったが、スペイン内乱のため上演不可能となる 7月13日 グラナダに向けてマドリードを立つ 14日 グラナダ到着 8月5日 ルイス・ロサーレスの家に避難 8月16日 ルイス・ロサーレスの家でロルカ逮捕 8月19日 グラナダ近郊ピスナールのフェンテ・グランデ(大いなる泉)」の近くのオリーブ畑の中で銃殺 |
| 1937 (昭和11年) /39歳 |
ルート・ベウラウとともにパリの国際作家会議に出席 「第三帝国の恐怖と悲惨」「カラールのおかみさんの鉄砲」初演 |
7月 日中戦争おこる 11月 日独伊防共協定成立 |
| 1938 (昭和12年) /40歳 |
「作業日誌」をつけ始める 「ガリレイの生涯」の執筆 「ユリウス・カエサル氏の商売」 |
11月 ドイツ ユダヤ人を国外追放 |
| 1939 (昭和13年) /41歳 |
スウェーデンのリンディゲー島に移る 「肝っ玉おっ母とその子供たち」を執筆 |
9月 第二次世界大戦おこる 11月ソ連 フィンランド攻撃開始 |
| 1940 (昭和14年) /42歳 |
フィンランドのヘルシンキに逃れる 夏を作家ヴォリヨキの領地マルレベークで送る 「プンティラ旦那と下男マッティ」「亡命者の対話」執筆 「セチュアンの善人」脱稿 |
4月 ドイツ軍デンマーク・ノルウェイに侵入 6月 ドイツ軍パリ占領 |
| 1941 (昭和15年) /43歳 |
アメリカのヴィザがおり、モスクワ経由でシベリア横断し、ウラジオストックから汽船でアメリカ亡命 マルガレーテ・シュテッフィン、モスクワで死去(7月21日) サンペドロに到着 ハリウッド郊外のサンタモニカに住まう 「アルトゥロ・ウイの抑えることもできた興隆」 |
4月 ドイツ軍ギリシア・ユーゴに侵入 4月 日ソ中立条約調印 6月 独ソ戦始まる 12月 太平洋戦争勃発 |
| 1942 (昭和16年) /44歳 |
「シモーヌ・マシャールの幻覚」を執筆 映画「刑吏もまた死す」のシナリオ執筆 |
6月 ミッドウェイ海戦で日本海軍潰滅 8月 スターリングラード攻防戦始まる |
| 1943 (昭和17年) /45歳 |
ニューヨークに旅行 ドイツ亡命人の協会成立をめぐってトーマス・マンと不和になる |
6月 フランス国民解放委員会結成 7月 連合軍イタリア上陸 9月 イタリア無条件降伏 |
| 1944 (昭和18年) /46歳 |
亡命知識人団体「民生ドイツ委員会」設立 「コーカサスの白墨の輪」執筆 |
1月 ソ連 東部戦線で大攻勢 6月 連合軍ノルマンディー上陸 |
| 1945 (昭和19年) /47歳 |
「ガリレイの生涯」を改稿 | 4月 ヒットラー自殺 5月 ドイツ 無条件降伏 7月 ポツダム宣言発表 8月 日本 長崎・広島に原爆投下 8月 日本の降伏により、第二次世界大戦おわる 10月 国際連合成立 |
| 1946 (昭和20年) /48歳 |
チャールズ・ロートンと「ガリレイの生涯」の台本制作 | 10月 ニュルンベルグ裁判終結 |
| 1947 (昭和21年) /49歳 |
ワシントンで非米活動委員会に喚問される アメリカを後にしてヨーロッパに戻る チューリッヒに飛ぶ |
2月 パリ平和条約調印 5月 日本国憲法施行 |
| 1948 (昭和22年) /50歳 |
チューリッヒに仮寓を定める 「アンティゴネ・1948」を上演 「演劇のための小思考原理」 プラハをへて東ベルリンに行く |
3月 ブリュッセル条約調印 4月 ソ連のベルリン封鎖 12月 世界人権宣言 |
| 1949 (昭和23年) /51歳 |
東ベルリンでヴァイゲル主演の「肝っ玉おっ母とその子供たち」上演 ベルリーナ・アンサンブル結成 |
1月 コメコン設置を発表 5月 ドイツ連邦共和国成立 10月 ドイツ民主共和国成立 10月 中華人民共和国成立 |
| 1950 (昭和24年) /52歳 |
芸術アカデミー会員となる ミュンヘンで「肝っ玉おっ母とその子供たち」演出 「家庭教師」初演 |
6月 朝鮮戦争おこる 12月 西ドイツ再軍備決定 12月 アメリカ マッカーサー旋風 |
| 1951 (昭和25年) /53歳 |
オペラ「ルクルスの審問」初演・改稿を命ぜられる 「海狸の外套」「放火」上演 「ヘルンブルグ報告」 第一等国民賞受賞 世界平和会議に書簡を送る |
4月 NATO軍発足 9月 サンフランシスコ講和条約、日本安全保障条約調印 |
| 1952 (昭和26年) /54歳 |
ベルリーナ・アンサンブル、ワルシャワ客演 フランクフルトで「セチュアンの善人」を見る 「ルーアンのジャンヌ・ダルク裁判 1431」を上演 ベルリン郊外のブコウにセカンドハウスを持つ |
3月 ソ連、中立ドイツ構想を提案 11月 米 アイゼンハワー大統領当選 |
| 1953 (昭和27年) /55歳 |
ローゼンバーグ夫妻の死刑に関し、抗議文を送る 東西ペンクラブ会議で議長に選ばれる 暴動事件についてウルブリヒトに親書を送る |
3月 スターリン死去 6月 東ドイツで暴動 6月 ローゼンバーグ夫妻の死刑執行 7月 朝鮮休戦協定調印 8月 ソ連水爆保有を発表 9月 フルシチョフ、共産党第一書記に就任 |
| 1954 (昭和28年) /56歳 |
ベルリーナ・アンサンブル、シッフバウアーダム劇場を常打ち小屋として与えられる パリのフェステバルで客演 「コーカサスの白墨の輪」初演 スターリン平和賞受賞 |
1月 米英仏ソ四国外相会議 7月 ジュネーブ協定調印 10月 西側九か国会議 |
| 1955 (昭和29年) /57歳 |
平和賞受賞のためモスクワ入り ハンブルグのペンクラブに出席 パリのフェステバルでBEの客演 「ブコウ悲歌」 「太鼓とラッパ」初演 「ガリレイの生涯」稽古にとりかかる |
5月 西ドイツNATOに加盟 5月 ワルシャワ条約調印 7月 米英仏ソ四国巨頭会談 |
| 1956 (昭和30年) /58歳 |
大学病院に入院 西ドイツの議会に再軍備反対の公開状を書く 8月14日 心筋梗塞のため死去 |
2月 スターリン批判 6月 ポーランドのボズナニで暴動 10月 ハンガリーの反ソ暴動 10月 スエズ戦争起こる |